プロフィール 2
more about me 私の体験歴
とある年の10月 晴れの特異日に生まれる。
学習院短大卒業後、職歴は花の「丸の内OL」から始まります。入社後一年もしない頃、乗馬で膝を痛める。「捻挫」と言われたがどこかおかしい。たまたま東大病院へ行く機会があり、診てもらう。膝では日本一権威のある先生の門下生(といっても立派な先生)が担当。なんと、見逃されていた骨折(前十字靱帯剥離骨折)が発見され、もう一ヶ月遅ければ手遅れとか、で急遽手術。しかも幸運なことに「膝の大先生」に手術をしていただける。複雑な膝関節内の手術だったにもかかわらず、不可能といわれた正座も、駆け足もできるようになるほどの大成功。先生の腕と西洋医学の技術には大いに感謝!です。
しかし、当時珍しい(数少ない)症例だったため、臨床研究として学会の発表や新しいギブスの開発に協力させられ(しかも費用はこちら持ち〜)、「利用されてるだけ?」と医者不信に。また、膝をかばうことからくる身体の不調には、「骨折は治っている」と取り合ってもらえず、身体をパーツでしか見ない西洋医学に疑問を抱く。これが東洋医学へ関心が向くきっかけとなる。
ともあれ通勤が無理なので退社、体質に合わなかったOL生活と、これ幸いと離別。療養中に作った紙粘土の動物人形がたくさんたまり、「恥は若いうちにかけ」という知人の言葉に乗せられ、池袋西武百貨店アトリエヌーボーで個展を開く。(まさか売れないだろうと高をくくっていたら、なぜか3日で完売。その後3年間個展を続ける。)これがきっかけで、三協商事というオルゴール会社の契約デザイナーに(え〜!三協商事って有名な会社だったんだ、と後で知る。失礼しました。知らないっておそろしいですね。)
仕事の上司に恵まれ、また時代の流れにも後押しされて、Tipi ToesやAnny Woodなど、次々とウサギやクマなどのキャラクターシリーズをデザイン。ネーミングからストーリー、イラストや絵本のデザインもする。頂いたヨーロッパみやげが実は輸出された私のデザインしたオルゴールだった、ということも。…しかし世間で言われるデザイナーのかっこいい、おしゃれなイメージとは裏腹に毎日仕事+仕事。夜の六本木で仲間と…なんて余裕もなく、友人に会うことすらできず、自宅に籠もるか、出張するかの繰り返し。精神的なプレッシャーと肉体疲労が重なり、しだいに身体はガタガタに。
もともと健康ではなかった身体が、ますますひどくなった。マッサージに鍼、薬…。足裏やふくらはぎが痛くて触れないのは当たり前、ぎっくり首、ぎっくり背中、目が急に見えなくなる、下着がつらい、血が流れるのが痛い、夜中に頭が熱くなって目が覚める、背中とおなかが板のように硬い(おへその周囲には骨があるのかと本気で思っていた)…などワケのわからない症状が次々と。この頃の苦しさ、恐怖の体験が、患者さんの痛みへの理解に役立っている気がします(いっぱい経験できてよかった〜)。やがて、あれこれ通う治療費のために仕事をしているような気持ちに襲われる。結局デザイナーをやめ、しばらく療養。
この頃から新たに子宮内膜症に。話題のダイオキシンのせい?(2キロ圏内に、あの清掃事業所が2つある悪条件の土地でしたから)さすがにひどかったので病院通い。評判の病院へ行くほど新しい薬を出される。友人に薬のことを心配され、先生に尋ねてみると、「痛みと副作用とどっちがいいんだ!」と怒られ、再び西洋医学不信に(有名な病院で忙しかったからこんなことおっしゃったんでしょう。なかには、とても良い先生もいらしたことを付け加えておきます)。薬で痛みが止まっていただけで、原因は改善されていなかったので、倒れても何しても痛みを我慢した方がいいや、と薬を絶つ。
何年後か、半年ほどオーストラリアに滞在し、現地でたまたまデザインの仕事をする。そして小さな絵本も一冊出版した。自由な雰囲気、個人の尊重、マイペースを保てる生活が精神の解放をもたらしたのか、信じられないくらい体調が良い!あの不調はどこへ??精神と身体の関係を強く実感。
この頃からヨガを始める。あちらでもブームでしたから。帰国してからお教えを頂いたヨガの先生は、身体についてのお話が多く、私の体験からも合点のいくことばかり。身体が柔らかかったこともあり、早くに講師に抜擢され、お教室をいくつか担当させられる。しばらくして井本先生のご著書「風邪をひけ 熱を出せ」と出会う。ヨガの先生から伺う話と共通点が多いので興味を持つ。実際身体を診て変える技術のある井本整体は本物ではないか、と感じた。
ヨガ教室では「やればやるほど体は良くなる」と言われていた。事実元気にはなった、が、講師をして何年かした頃、なぜかだんだん調子が悪くなった。肩、股関節、体の内部に痛みが増し、ポーズができなくなっていく。自分の中で「ゆがみが増長しているのでは」との思いがつのる。「具合が悪ければもっとポーズをやりなさい」というヨガの先生の言葉にしだいに疑問を感じるようになる。皆が同じ事をして元気になるのか?身体は人それぞれ違うんじゃないか?症状の原因を探ることはできないのだろうか?…次々と疑問符が浮かぶ。身体を扱う仕事であるが故に、自分で納得もし、確信を持って身体のことを伝えられるようになりたい、と井本整体で勉強することを決意。入門する。
かつて、ヨガの本に書いてある「このポーズは…に良い」「このポーズは…に効く」という解説に釈然としなかった。整体体操でもヨガのポーズとそっくりの体操がいくつもあった。でも整体体操はある部分を確実にねらって力を集める(筋肉や骨を働かせる)。しかもその人の動きの癖を見抜いて指導する高い技術まで持っている。何ということのない体操がーかなりハード。そして実際身体が変わる。しかも整体学的に見るとヨガのポーズの効能と一致する。そうか!!目から鱗の感激だった。ヨガのポーズが効かないのではなく、日本人の身体に合わせたやり方があったのだ!
もともと学問(哲学)であったヨガが、長い歴史の中で、「ヨガといえばポーズ」がイメージされるようになってしまったように、やり方もかたちだけが残ってしまったのかもしれない。発祥の地インドの方々の身体は知らないけれど、たとえばの話、日本人と欧米人とでは骨格の特徴も違えば、身体の使い方もちがう。だから同じ事をしても効果もちがう。元気になるための必要な動きもちがうのだ。 この素晴らしい体操を多くの方に気軽に体験してもらいたい、と「整体ヨガ」のネーミングを思いつく。
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学習院短大卒業後、職歴は花の「丸の内OL」から始まります。入社後一年もしない頃、乗馬で膝を痛める。「捻挫」と言われたがどこかおかしい。たまたま東大病院へ行く機会があり、診てもらう。膝では日本一権威のある先生の門下生(といっても立派な先生)が担当。なんと、見逃されていた骨折(前十字靱帯剥離骨折)が発見され、もう一ヶ月遅ければ手遅れとか、で急遽手術。しかも幸運なことに「膝の大先生」に手術をしていただける。複雑な膝関節内の手術だったにもかかわらず、不可能といわれた正座も、駆け足もできるようになるほどの大成功。先生の腕と西洋医学の技術には大いに感謝!です。
しかし、当時珍しい(数少ない)症例だったため、臨床研究として学会の発表や新しいギブスの開発に協力させられ(しかも費用はこちら持ち〜)、「利用されてるだけ?」と医者不信に。また、膝をかばうことからくる身体の不調には、「骨折は治っている」と取り合ってもらえず、身体をパーツでしか見ない西洋医学に疑問を抱く。これが東洋医学へ関心が向くきっかけとなる。
ともあれ通勤が無理なので退社、体質に合わなかったOL生活と、これ幸いと離別。療養中に作った紙粘土の動物人形がたくさんたまり、「恥は若いうちにかけ」という知人の言葉に乗せられ、池袋西武百貨店アトリエヌーボーで個展を開く。(まさか売れないだろうと高をくくっていたら、なぜか3日で完売。その後3年間個展を続ける。)これがきっかけで、三協商事というオルゴール会社の契約デザイナーに(え〜!三協商事って有名な会社だったんだ、と後で知る。失礼しました。知らないっておそろしいですね。)
仕事の上司に恵まれ、また時代の流れにも後押しされて、Tipi ToesやAnny Woodなど、次々とウサギやクマなどのキャラクターシリーズをデザイン。ネーミングからストーリー、イラストや絵本のデザインもする。頂いたヨーロッパみやげが実は輸出された私のデザインしたオルゴールだった、ということも。…しかし世間で言われるデザイナーのかっこいい、おしゃれなイメージとは裏腹に毎日仕事+仕事。夜の六本木で仲間と…なんて余裕もなく、友人に会うことすらできず、自宅に籠もるか、出張するかの繰り返し。精神的なプレッシャーと肉体疲労が重なり、しだいに身体はガタガタに。
もともと健康ではなかった身体が、ますますひどくなった。マッサージに鍼、薬…。足裏やふくらはぎが痛くて触れないのは当たり前、ぎっくり首、ぎっくり背中、目が急に見えなくなる、下着がつらい、血が流れるのが痛い、夜中に頭が熱くなって目が覚める、背中とおなかが板のように硬い(おへその周囲には骨があるのかと本気で思っていた)…などワケのわからない症状が次々と。この頃の苦しさ、恐怖の体験が、患者さんの痛みへの理解に役立っている気がします(いっぱい経験できてよかった〜)。やがて、あれこれ通う治療費のために仕事をしているような気持ちに襲われる。結局デザイナーをやめ、しばらく療養。
この頃から新たに子宮内膜症に。話題のダイオキシンのせい?(2キロ圏内に、あの清掃事業所が2つある悪条件の土地でしたから)さすがにひどかったので病院通い。評判の病院へ行くほど新しい薬を出される。友人に薬のことを心配され、先生に尋ねてみると、「痛みと副作用とどっちがいいんだ!」と怒られ、再び西洋医学不信に(有名な病院で忙しかったからこんなことおっしゃったんでしょう。なかには、とても良い先生もいらしたことを付け加えておきます)。薬で痛みが止まっていただけで、原因は改善されていなかったので、倒れても何しても痛みを我慢した方がいいや、と薬を絶つ。
何年後か、半年ほどオーストラリアに滞在し、現地でたまたまデザインの仕事をする。そして小さな絵本も一冊出版した。自由な雰囲気、個人の尊重、マイペースを保てる生活が精神の解放をもたらしたのか、信じられないくらい体調が良い!あの不調はどこへ??精神と身体の関係を強く実感。
この頃からヨガを始める。あちらでもブームでしたから。帰国してからお教えを頂いたヨガの先生は、身体についてのお話が多く、私の体験からも合点のいくことばかり。身体が柔らかかったこともあり、早くに講師に抜擢され、お教室をいくつか担当させられる。しばらくして井本先生のご著書「風邪をひけ 熱を出せ」と出会う。ヨガの先生から伺う話と共通点が多いので興味を持つ。実際身体を診て変える技術のある井本整体は本物ではないか、と感じた。
ヨガ教室では「やればやるほど体は良くなる」と言われていた。事実元気にはなった、が、講師をして何年かした頃、なぜかだんだん調子が悪くなった。肩、股関節、体の内部に痛みが増し、ポーズができなくなっていく。自分の中で「ゆがみが増長しているのでは」との思いがつのる。「具合が悪ければもっとポーズをやりなさい」というヨガの先生の言葉にしだいに疑問を感じるようになる。皆が同じ事をして元気になるのか?身体は人それぞれ違うんじゃないか?症状の原因を探ることはできないのだろうか?…次々と疑問符が浮かぶ。身体を扱う仕事であるが故に、自分で納得もし、確信を持って身体のことを伝えられるようになりたい、と井本整体で勉強することを決意。入門する。
かつて、ヨガの本に書いてある「このポーズは…に良い」「このポーズは…に効く」という解説に釈然としなかった。整体体操でもヨガのポーズとそっくりの体操がいくつもあった。でも整体体操はある部分を確実にねらって力を集める(筋肉や骨を働かせる)。しかもその人の動きの癖を見抜いて指導する高い技術まで持っている。何ということのない体操がーかなりハード。そして実際身体が変わる。しかも整体学的に見るとヨガのポーズの効能と一致する。そうか!!目から鱗の感激だった。ヨガのポーズが効かないのではなく、日本人の身体に合わせたやり方があったのだ!
もともと学問(哲学)であったヨガが、長い歴史の中で、「ヨガといえばポーズ」がイメージされるようになってしまったように、やり方もかたちだけが残ってしまったのかもしれない。発祥の地インドの方々の身体は知らないけれど、たとえばの話、日本人と欧米人とでは骨格の特徴も違えば、身体の使い方もちがう。だから同じ事をしても効果もちがう。元気になるための必要な動きもちがうのだ。 この素晴らしい体操を多くの方に気軽に体験してもらいたい、と「整体ヨガ」のネーミングを思いつく。